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広瀬  

国道北側斜面下に廃線跡が偲ばれる

国道387号線
下って左へカーブすると元「広瀬駅」

投稿:SAVAGE様

 富の原〜広瀬間の国道387号線の急坂
地元民(私は泗水町出身)の間では「花房の坂」と呼んで恐れられている存在です。 あの急坂ですから富の原から広瀬に行くときは最高に気持ちいいのですが、逆方向の広瀬から富の原に向かう場合はまさに地獄です。 自転車でここを登るときはたいへん苦しいです。 電車の場合、車と違ってこんな急坂は一気に登れないのでこの区間は国道とは離れた場所を走っていました。 富の原駅を過ぎるとすぐ左に折れて畑の真ん中をほぼまっすぐ走っていきます。 この区間はきくち電車の中でもかっ飛ばせる区間でした。もっとも60km/hも出ていなかったと思いますが。
 国道からはだいぶ離れたところから山に入ります。 国道387号線からですと坂の登り切ったところにある信号のある交差点から西へ向かう農免道路を行くとレールが山に消える部分も見られます。 気を付けないとすぐ通り過ぎてしまいますけど。 山中の区間はそれまでとは違って電車はゆっくりゆっくり進んでいました。 やがて広瀬の町並みが見える頃、やっと普通のスピードに戻って広瀬駅に入っていきました。 広瀬から富の原に向かう場合も山を登り切るまでは止まるんではないかと思うくらいのゆっくりなスピードで登っていきました。 登り切ったところから一気に加速して最高速を出していました。 たぶんバスの方が電車よりも圧倒的に速度面では有利だったでしょう。 きくち電車の場合、所要時間がバスに勝っている区間って広瀬〜深川間だけだったのではないかと思います。
晩年は菊池市内の道路も混雑しているので深川〜菊池間も勝っていたようです。

投稿:shika様

富の原〜広瀬間を行く5104単行
(1985/12月 shika様撮影 投稿)

富の原〜広瀬間 花房の坂を登る102
1983年神野安伸様 撮影提供

廃線跡:富の原〜広瀬間
まるでジャングルの様相だが、
かつてのコースを想像するのは今でも容易。
(ここに来るまでは、大変だが・・・)
投稿:POTE/細井敏幸様

1986.2/11 POTE/細井敏幸氏撮影
雪の花房台地を下る 静鉄503+504

1986.2/11 POTE/細井敏幸氏撮影

 

投稿:SAVAGE様

廃線前の広瀬駅ホーム
熊本電鉄80周年記念史より

廃線前の広瀬駅舎
熊本電鉄80周年記念史より

広瀬駅
 いまは国道が拡幅されて何の跡も残っていませんが、かつては2面2線の交換施設を持った駅でした。
当時から駅付近の道路が狭かったので駅のホームも他の駅に比べるとぐっと狭いものでした。 1975年頃の熊本電鉄は毎時1本で泗水駅で交換が原則でした。 ラッシュ時は30分に1本となって、このときは広瀬駅で交換を行っていました。 やがてラッシュ時の運転が泗水止めの区間便となったことで広瀬駅の交換施設も撤去され、駅舎側のホームのみ使用となり、そのまま廃止の時を迎えました。

 菊池と広瀬との区間利用客もけっこういらっしゃいました。


広瀬〜深川間 菊池川鉄橋を渡る101
1983年神野安伸様 撮影提供

深川  
投稿:SAVAGE様 田んぼの真ん中にあった1面1線の簡素な駅。 たった一駅ながらも意外に菊池との区間利用客が多かった。 駅からやや菊池側に行ったあたりに小さな商店があるのですが、この商店の前の線路には踏み切りがありませんでした。
雰囲気としては藤崎宮前〜黒髪町間の路面併用区間のようなものでした。
投稿:Oregonian様 実家が沿線(菊池〜深川)だったんで、廃止される前は、毎朝電車が鳴らす警笛を目覚まし代わりにしてました。 その後、菊池-御代志間が廃止され、熊本市内の高校に通う際にまた、お世話になりました。 私は東急の旧青ガエルまでしか知らないんで、このホームページで新たな車両が導入されたと聞いて、びっくりです。(しかも冷房つきとは)
梅雨どきの扇風機だけの車内のもんもんとした雰囲気はなくなっていくのでしょうか。

投稿:布原安芸様

貨車を牽引する101(深川〜菊池間)背後に菊池寿屋が見える
(1975年12月27日 布原安芸様 撮影)


終点 菊池  

廃線前の菊池駅構内
熊本電鉄80周年記念史より

現在の「菊池駅」跡地:正面が熊本電鉄菊池プラザ

廃線前の菊池駅
熊本電鉄80周年記念史より

廃止直前の菊池駅ホームに
停車中の102
(1985/12月 shika様撮影 投稿)

投稿:SAVAGE様

晩年の菊池駅は泗水駅よりもさみしい簡素な作りでした。

菊池プラザと呼ばれるバスターミナルの奥にある狭い通路を出てビルの裏側に出るとそこにホームがあるというものでした。
いつ廃止にしてもなんの問題もない構造でしたね。今でも廃止時点そのままに放置されています。
菊池プラザができる以前の菊池駅はスーパーマルカの正面に堂々とした駅舎を持つ立派な駅でした。今は十字路になっている菊池プラザ前の交差点ですが、以前は袈裟尾(けさお)地区方面へ向かう道路はなく、菊池駅の敷地でした。

 配線図はうろ覚えだったのでワキ山本さんの方が正しいと思います。 北側の貨物積み込みホームは菊池駅構内にあった袈裟尾地区方面へ分かれていく踏切のすぐ横から分かれていて大量の貨車が留置してあった記憶があります。
 菊池運輸の貨物ターミナルが駅北側と南側とに別れていました。 でも、トラックからの積み込みがしやすい北側の方が日常使われていたようです。 肥後小国まで来ていた国鉄・宮原線とつながっていたらどうなっていたんでしょうね。 きくち電車は主として1番線に発着していました。 しかし、2番線に発着する運用があったらしいです。 伝説に聞いているだけで実際には見たことがないですけど。 1番線は静岡鉄道からやってきた500番台の連接車が入線する際にホーム長が若干足りないので延長工事がされました。 菊池駅構内から本線に出るあたりの配線が興味深いです。 なぜか菊池駅を出たあたりから急に左に折れて藤崎宮前方面へ向かう配置になっています。 しかも頻繁に利用するはずの駅舎直結の1番ホームからまっすぐ進むわけではなく、いったん2番ホーム側の線路に移動してから本線は続いています。 もし左に曲がらずに直進するとその方向には鹿本町来民があります。 この線形からも真剣に来民への延長を考えていたのではないかと思われます。 なお「来民」は「くたみ」と読みます。 難読地名が多い鹿本郡は昔からの集落だったのでしょう。
 菊池駅の乗り場は1番ホームは藤崎宮前行き、2番ホームは来民行きというふうに考えていたのでは?と、勝手に想像しております。
さらに来民から鹿本鉄道(山鹿温泉鉄道)に乗り入れて山鹿まで直通していたら....などと想像してしまいます。

投稿:ワキ山本様

(↑ワキ山本氏S45〜S50記憶による配線図↑)
投稿:みなみな様

旧菊池駅貨物ホームに停車中の101(左奥は301)
1975年9月15日 みなみな様 撮影投稿


1980年1月 みなみな様 撮影投稿

77年の歴史と思い出を残して、お別れ電車1万人

「菊池電車」の名で親しまれてきた熊本電鉄の菊池〜御代志間15キロが15日で

開業以来77年の歴史にピリオドを打った。菊池市切明の菊池駅で開かれた、

さよなら式には、全国の鉄道マニアや沿線住民ら約500人が詰めかけ、

最後の姿をカメラやビデオにおさめた。(2/16付熊日新聞朝刊より)


合志川鉄橋を渡る「さよなら電車」東急5043+5044
熊本電鉄80周年記念史より


熊本電鉄80周年記念史より

1986年2月15日 菊池〜御代志間 廃止

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