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幻の菊池〜肥後小国  
投稿:SAVAGE様 肥後小国駅を過ぎてからもずいぶん先の方までレールは延びていました。
元々貨物列車の割合が高い線でしたから長編成列車の折り返し用に延長されていたのかもしれません。
菊池までの延長計画はまったく無謀な計画だったと思います。 仮に開業していたとしても早々に赤字路線として廃止されていたことでしょう。 菊池駅は菊池市中心部から外れており、実際に観光客が利用するには不便な場所でした。 もし、宮原線とつながっておればもう少し温泉街に近いところに新駅を設置してにぎわったかもしれません。 工事の進捗は1980年時点でわずか2%。 つまり、まったくといっていいほど手をつけていなかったことがわかります。これでは計画が凍結されてもしかたがない事でしょう。

宮原線(廃線)  
投稿:SAVAGE様 1984年まで存在していた国鉄・宮原線。
「宮原」というのは終点・肥後小国駅があった地区の大字名称。
町名でもなく、駅名でもなく、郡名でもない路線名称は珍しい。

廃止1ヶ月前に泗水町の自宅から80ccのスクーターで訪問しました。 菊池市から国道387号線を利用しました。 当時の国道387号線はすごい道でした。 菊池市の「鉾の甲地区」までは産交バスも走っているので道は狭いながらもなんとか舗装されていて一応はまともな道路でしたが、そこから山越えとなり県境を抜けるあたりは未舗装で一車線の崖っぷちの小径でした。 ガードレールもありませんでした。 とても国道とは思えない未整備道路で、走っていて道を間違えたのかと不安になりました。 ちょうどそう思い出す頃、道路の傍らに国道の号線表示標識が現れるのです。 下筌ダムのあたりはさすがに二車線の快適な道でした。 で、ふたたび山越え区間になるとまた未舗装。 本格的オフロードバイクでないととても辛い道で、ホンダ・リード80で走っていた私はパンクしないことを祈りながら運転しました。
こんなところに鉄道を引こうとしていたのですからまさしく「我田引鉄」です。
やっと集落が見えたと思ったらそこが小国町の宮原地区でした。 肥後小国駅は一日三本しか来ない超過疎ダイヤ。 これで駅員が三人もいたのですから国鉄が大赤字であったことは道理です。 かつては小国杉の搬出でにぎわったのでしょう、肥後小国駅の構内はとても広く、貨物積み出しホームも贅沢な作りでした。 測線はいくつかはがされていましたが、まだだいぶ残っていました。 しかし、列車は駅舎直結のホームに来てただ戻るだけなので測線は錆だらけでまったく
使われていません。駅構内にゲートボール場があって、レールはお年寄りたちのベンチ代わりに使われていました。
宮原線は久大本線とは恵良駅で別れるが列車はすべて隣の豊後森駅を起点としていた。
豊後森〜肥後小国間の営業距離は30.7km。
区間便もあった豊後森〜宝泉寺間は11.4km。
手元にあるポケット時刻表1982年4月号によるとダイヤは次の通り。

豊後森→肥後小国  
番号 豊後森 宝泉寺 肥後小国
221D 05:39 06:03止(休日運休)
223D 06:53 07:22 08:02
6225D 12:43 13:07 13:47(土曜運転)
227D 15:27 15:57 16:37
229D 17:51 18:41止
231D 19:00 19:24 20:04

肥後小国→豊後森 
番号 小国 宝泉寺 森
220D 06:16 06:36(休日運休)
222D 06:36 07:22 07:41
224D 08:27 09:11 09:31
6226D 13:54 14:39 14:58(土曜運転)
228D 16:42 17:26 17:46

肥後小国駅から豊後森駅にかけての駅の風景もご紹介します。
北里駅、麻生釣駅なども貨物が主であったことがよくわかる作りでした。
北里駅は利用客がまったくいない割には立派な作りで清掃も行き届いていました。 地元の人が交代で掃除を毎朝やっていると言うことでした。 半高架になっている変わった駅で、駅舎から階段を上ってホームに行く作りでした。 人間が乗るホームは階段を昇降させられるのに、貨物ホームはトラックが乗り入れられるよう、地平にありました。

麻生釣駅などはまわりにまったく民家が無く、かつ国道からの案内も非常に小さくて見つけにくいもので、獣道しか続いていない駅でした。 いったいどんな人が利用するのか不思議でしたが、その後のテレビのニュースで宝泉寺駅付近へ通学する小学生の定期利用客があったそうである。 この小学生、麻生釣駅からさらに片道9kmの道のりを毎日歩いて通学していたそうだ。 すごい。今はどうしているのだろうか? 彼らは土曜日など半ドンの日は学校が終わって帰ろうとしても列車がないので弁当持参で学校に残っていたそうです。土曜運転の列車もあることはあったようだが.... けっこう山深く積雪もある地域なので雪に強い鉄道が無くなったのは痛いですね。
麻生釣高原付近で国道と併走するあたりがすすきが一面に生えていてきれいでした。

宝泉寺駅。駅が廃止になってから逆に有名になった珍しいところです。 湯布院の成功につられたのか、よくテレビ東京系の旅番組で登場します。 駅自体も立派なもので、ここも半高架駅で、人間は階段を昇降させられるのに貨物はトラックが直に入ることができるような構造でした。 行き違い設備も用意されており、ここと豊後森間の区間列車も多かった。
今はもう何も残っていません。

町田駅、ここはきれいな駅で惜しい景観の駅です。 駅前広場から長い階段を上るとそこに1面1線のホームがあった。
余談であるが大分県のここに「町田」駅があったので東京都町田市の駅は中心部の集落名称から「原町田」駅となっていた。 本家・町田駅が廃止された現在は東京の町田市の駅が「町田」駅を名乗っている。 さらに余談であるが、東京都港区に「田町」という駅がある。 したがって「田町−町田」といった定期券を持っている人も多いことであろう。

町田駅を過ぎると盆地に降りて川を渡って恵良駅で久大本線と合流。
恵良駅では宮原線は専用ホームを持っていた。 豊後森駅は機関区が存在していた久大本線の中でも主要な駅。 すっかり空になっているかつての蒸気機関車の車庫が痛々しい。

菊池市から小国へ抜ける国道387号線は今ではオートポリスのおかげですばらしい山岳のハイウェイとなっています。
とても今の姿から旧道の姿は想像できないと思います。
宮原線は意外に雪深いところを走る路線でしたので九州でも異色の路線でした。

打越付近:1977年頃撮影

こうやって今は無き一駅一駅に触れておりますと
「廃線」という言葉の持つ意味をつくづく思い知らされます。
例え線路は消えても、
町の長老はじめ、たくさんの人の心に、今も生きつづけている事でしょう。

貴重な情報を数多くご提供頂いたSAVAGE氏はじめ
他多勢のきくち電車ファンの皆様に、感謝致します。
管理人 : dodongo 
※当ページはすべて個人の趣味で制作しております。
熊本電気鉄道へのお問い合わせはご遠慮下さい。

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